ロハスな夏休み旅行、明治村へ行こう!その2
2006年 07月 23日
明治時代の文豪と言えば、夏目漱石、森鴎外など誰もが知っているよね?その彼らが文京区にある貸家である時期いっしょに暮らしていた建物がこの家なんだ。
ちなみに、夏目漱石はこの家で、「我輩は猫である」を執筆したんだよ。
漱石はどんな思いをして数々の作品を書き上げたのだろう?明治時代はどんな暮らしで何を人生の目標とする人がいたんだろう?100年以上経った私たちがこんなに気軽にブログで誰もが自分の日常や思いを表現して、簡単に多くの方々へメッセージを伝える時代の到来を予期していたのだろうか?
なんて、縁側で物思いにふける中野博でした(笑)。
日本の建築は、夏を旨とすべきとは、700年も前に吉田兼好が徒然草で書いたものだけど、明治時代はまさに、夏を旨とする建築機能が多かったらしい。もちろん、金持ちだけだが。
最後の写真は、私の尊敬するフランク・ロイド・ライト氏が日本で手がけた作品のひとつである
旧・帝国ホテルの玄関。関東大震災にもびくともしなかった彼の建築美は日本の近代化オンリーのせわしい建築感というか、なんというか、偉大な彼の作品を取り壊してしまったんだ。
それを心ある名鉄の当時の総裁が後世に残すために買い取って、この明治村へ移築している。今では明治村の代表建築物となって、多くの建築家のみならず多くの訪問客を楽しませている。ぜひ、これだけは見て欲しい!
ちなみに、夏目漱石はこの家で、「我輩は猫である」を執筆したんだよ。
漱石はどんな思いをして数々の作品を書き上げたのだろう?明治時代はどんな暮らしで何を人生の目標とする人がいたんだろう?100年以上経った私たちがこんなに気軽にブログで誰もが自分の日常や思いを表現して、簡単に多くの方々へメッセージを伝える時代の到来を予期していたのだろうか?
なんて、縁側で物思いにふける中野博でした(笑)。
日本の建築は、夏を旨とすべきとは、700年も前に吉田兼好が徒然草で書いたものだけど、明治時代はまさに、夏を旨とする建築機能が多かったらしい。もちろん、金持ちだけだが。
最後の写真は、私の尊敬するフランク・ロイド・ライト氏が日本で手がけた作品のひとつである
旧・帝国ホテルの玄関。関東大震災にもびくともしなかった彼の建築美は日本の近代化オンリーのせわしい建築感というか、なんというか、偉大な彼の作品を取り壊してしまったんだ。
それを心ある名鉄の当時の総裁が後世に残すために買い取って、この明治村へ移築している。今では明治村の代表建築物となって、多くの建築家のみならず多くの訪問客を楽しませている。ぜひ、これだけは見て欲しい!
by nakanohiroshi
| 2006-07-23 07:53