浦島太郎の気分だ!
2007年 06月 09日
1985年に最初に来たイメージがなかなか抜けない。
1988年には、少し進化していた北京だが、あの事件が起きる予兆はすでに始まっていた。
1990年には、日本の代表青年として、総務庁(当時)から派遣されて、あの事件直後の人間関係の修復のためにも、私含めての20名の青年たちは中国の各地へ表敬訪問して、さまざまなテーマにつき情報交換した。
あの時代は、日本はバブル真っ盛りだった。日銀の引き締め策がなければ、今はどうなっていたのか?
しかし、中国はあの事件以来、加速度的に発展し、1990年当時では信じられないまでの経済発展をしてしまった。
わたしは17年ぶりに北京に昨日上陸し、1990年当時務めていたデンソーの大先輩とも久しぶりに酒をのみ、郷愁の念にかられた。
しかも、ともに大学時代を過ごした仲間たち4名との再開をなんと!北京でできたことは感動ものである。
それにしても、浦島太郎の感覚は、今回だけは わかるなー!
1988年には、少し進化していた北京だが、あの事件が起きる予兆はすでに始まっていた。
1990年には、日本の代表青年として、総務庁(当時)から派遣されて、あの事件直後の人間関係の修復のためにも、私含めての20名の青年たちは中国の各地へ表敬訪問して、さまざまなテーマにつき情報交換した。
あの時代は、日本はバブル真っ盛りだった。日銀の引き締め策がなければ、今はどうなっていたのか?
しかし、中国はあの事件以来、加速度的に発展し、1990年当時では信じられないまでの経済発展をしてしまった。
わたしは17年ぶりに北京に昨日上陸し、1990年当時務めていたデンソーの大先輩とも久しぶりに酒をのみ、郷愁の念にかられた。
しかも、ともに大学時代を過ごした仲間たち4名との再開をなんと!北京でできたことは感動ものである。
それにしても、浦島太郎の感覚は、今回だけは わかるなー!
by nakanohiroshi
| 2007-06-09 08:54
| 今日の出来事